安全対策。他人に迷惑をかけないなら自由?!

上司と部下

あとで、別なことでじっくりお灸は据えておきましたが、職場に厄介な個性のある後輩がおりました。彼は、自動車が好きなのですが、モータースポーツや、自動車のメカニズムについては小学生以下でした。彼が、「天体望遠鏡の使い方」を私から習うために我が家へ来ることになりました。大人の世界ですから、「一杯やろうか」ということになるかもしれないし、最低でもお茶くらいもてなすつもりでしたが、まったく困った奴でした。

 

「先輩の家の近くは道が悪いので私の自動車では行けません。迎えに来てください。」

 

とぬかしおったのです。その時点でキレていれば良かったのですが、苦い顔をして連れてきてやりました。彼の愛車は英国製のちっちゃい車です。日本にも愛好家が大勢います。
車体の底を擦ることを嫌ったのですが、私は山中に住む者ではありません。住宅街です。彼の自動車がぺしゃんこ過ぎるのです。しかも、ご近所にもっと強者が住んでいらっしゃり、もっとぺしゃんこですがそれで通勤されています。

 

一度、彼の後ろを運転したことがあって、職場に到着して、すぐに彼を呼びつけました。

 

 

「なんでヘッドレストを外してるの?」
「この自動車はこれがいいのです。」

 

とぬかしおったのです。

 

ちなみに、彼の自動車は土足禁止です。助手席グローブボックスに「土禁!本人のみ可」と書いてありました。そのことでも十分、人を小馬鹿にしているように見えるのですが、本人は本気です。

 

 

「追突されたら首を悪くするよ。」
「追突する方が悪いのです。自由でしょ。」

 

とぬかしおったのです。

 

「おいおい、いくら加害者とはいえ、軽傷ですむ事故なのにムチうちとかは困るではないか。」
「そんなのは、加害者が悪いんです。」

 

全く話にならんのです。彼はシートベルトは装着します。理由は、「法律」だとぬかすのです。考えてみれば、彼の方がまだましなのかもしれません。シートベルト、二輪車のヘルメットについて、「この法律はおかしい。社会が個人の自由に踏み込むのはいけない。」とか「他人に迷惑をかけないことを法律で規制するのはおかしい。」とか。
被害者の怪我を保険会社が払うのだから関係ない。とも言います。余計なお世話だと言います。

 

その彼はある日、こんなことを言って、別のものから頭をはっ倒されていました。

 

「この慰安旅行はあと2台自動車が必要だな。ガソリン代はみんなで割り勘だ。お前も頼むよ。」
「いえ、私も同乗させてください。」
「故障か?」
「いえ、汚れるからです。」

 

はっ倒されて真っ赤に怒っている彼に、私が
「そう言えば、お前のフェンダーミラーどうしたの?」それを聞いた彼は、職員用駐車場へすっ飛んで行きました。
何も起こっていません。からかっただけです。彼は、ドアミラーを外してフェンダーミラーに変更していました。これはこの方がカッコいいのです。と。

安全と社会コスト

彼らの描く社会は非常に優和で懐が深い社会なようです。彼らの国では、コンビニは無人店舗が当たり前で、料金の支払いは無人カウンターのカゴに自己申告制で入れるのでしょう。無人店内では万引きが横行するでしょうから、商品に始めからリスク分はコストとして設定しておくのでしょう。そのコンビニの防犯のために警察官を巡回させねばならないので、、警察官を増やし、加害者撲滅、犯罪者撲滅のため大量の税金を投入するのでしょう。自動車保険は怪我人続出に鑑み、物凄い高い保険なのでしょう。

 

「他人に迷惑をかけないから自由である。」それは正しいと思います。ただし、「迷惑をかけないで生きていく自信があなたにお有りかな?」ということです。あなたの呼吸ですら迷惑なのです。

 

上司と部下

自動車のシートベルト装着義務化から遅れて自動車のエアバッグが行き渡りました。私が初めて所有者になった自家用車にはエアバッグはありませんでした。もう亡くなりましたが、有名な自動車評論家が自動車雑誌のコラムQ&Aに書いていました。「安い大衆車にエアバッグなんて贅沢だ。」といった趣旨の発言に対し、猛烈に攻撃していました。「・・・!人命に高い安いはない!」と言うのです。

 

運転席エアバッグ、運転者シートベルト、ヘッドレスト。どれも運転者の命を守るグッズです。最近では、自動停車装置も出始めています。
もし、ヘッドレストをつけない後輩を戒めるなら、今後発明されるであろう、あらゆる安全補助装置を「取り付けんかい!」と言えばいいのでしょうか。

 

「防げる被害者の怪我を社会が負担せねばならないから。」の文言を社会悪を正す勢いで、あの後輩に厳しく訓育して、その安全補助装置をつけるよう指導すべきだったろうか。今になって、疑問を感じています。

 

冬山の事故は毎年あります。山岳遭難と海洋遭難とはレスキュー費用の負担者、仕組みはまるで違います。海洋遭難は現場が領海上、航海上に関係なく、遭難者の国籍、過失、故意に関わらず、近い国家が(救援可能な国が)自国の威信を示し、無償で行います。世界中の常識です。対し、山岳遭難は全経費を本人が支払わなばなりませんし、命を落としたなら、泣く家族に、莫大な負債も加わります。悲惨です。

 

私は、数年前から自分の運営するブログに「自己責任」と言う言葉を軽々に使うことはいかがなものか。といった趣旨のことを書いていますが、本当は、少し困っているのです。だんだん主張の張りが緩んできつつあります。